喪われるクオリア 1
※ED後捏造
初めは、ほんの些細なことだった。
セレニアの花畑で「彼」が帰ってきてから二年が経とうとしていた。あの時の事は、今でも鮮明に思い出せる。
凛とした彼女の歌声と、花畑の中に帰還した焔色の青年。どうして、と問うた彼女に、「彼」は「約束したから」と応えた。その落ち着いた声が、やけに記憶へと焼き付いている。
結論から言うと「彼」はどちらでもなかった。
ジェイドが愛した子どもでもなければ、キムラスカの女王殿下が愛した青年でもない。2人が混じりあって、そうして生まれた人だった。
最初は、世界も仲間たちも「彼」がどちらでもないことに戸惑いを見せた。特に仲間たちにとって、子どもと青年は違うものであり、混じりあってしまった「彼」をどう扱っていいものかわからなかったのだ。
しかし、思い出はやがて過去になる。
二年経った今、世界と仲間は事実を受け止めた。
受け入れられた「彼」は、今ではキムラスカの大使として活躍をしているらしい。近いうちに、「彼」は女王殿下と婚姻を結ぶそうだ。
全てが、円満に進んでいるように見えた。
――ジェイドが愛した子どもが、帰らないこと以外は。
ジェイド自身は、大きな問題ではないと思っていた。
それが、自分が導き出した結果だったからだ。避けようがない未来が、「彼」という結末だっただけである。
だから、子どもが帰らないことを、仲間の中でも真っ先に受け止めようとした。
感情を押し込めて、事実をあるがまま受け止める。それはジェイドにとっては簡単な事だった。
しかし、どれだけ押し込めたところで、まぶたの裏に広がる朱色が記憶に仕舞われることはない。むしろ、過去にしようともがくほどに、その朱色は彩度を増していった。
名前を呼ぶ子どもの声が頭に響く。ジェイドは心に住んでいる子どもの記憶の大きさに、愕然とするのであった。
初めは、ほんの些細なことだった。
何時ものように仕事を終え軍部を出たジェイドは、見事なまでの夕日に迎えられた。地平線に向けて鮮やかに広がるそれに、思わず目を奪われていた。
「見とれてたのかい」
背後から見知った声がかけられる。振り向けば、かつての旅の仲間、子どもの親友がそこに立っていた。相変わらず、人の良い笑みを浮かべている。彼はジェイドに近づくと、隣に立った。
そうですね、と肯定すると、予想できた答えだったらしく、やっぱりな、と返される。
「…あいつみたいな朱色だからな。あんたが見とれるのもしょうがないのかもな」
あいつみたいなあかいろ。
彼の言葉を反芻し、噛み砕く。何を言っていたのか、理解が遅れる。
そこで初めて、ジェイドは自分が「あかいろ」を認識できなくなっていることに気がついた。見えない、というわけではない。意味も分かっている。むしろ、風景はきちんとこの目に映っていた。
ただ、「あかいろ」だけが、ジェイドの中で分からなくなっている。どうしたことかと、思考した。
そんなジェイドの背を、金髪の青年が力強く叩く。何をするのだとそちらを見ると、穏やかな表情とぶつかった。
「…あんまり、気落ちするなよ」
その言葉だけを残して、青年は去っていく。
どうやら、自分の沈黙を気分の落ち込みだと勘違いしたらしい。見当違いな彼の慰めは、一応受け取ってやろうと思った。
目を閉じて、まぶたに映る風景をみる。映るいろに心が焦がれたが、そのいろが何なのかは、ジェイドには感知できなかった。
その後も、ジェイドは徐々にいろが認識できなくなっていった。
次はみどりいろ、次はきいろ、あお――。
子どもに纏わるいろから抜け落ちていき、だんだんと、全てが喪われていく。色は映るのに、いろを感じることができなくなっていった。
それに伴い、時々自分の意識が解離する感覚に襲われた。はじめは、ほんの一瞬だったそれも、いろが抜けていくにつれて、徐々に回数と時間が増えていく。
いつの間にか記憶が途切れ、次の瞬間には時間も場所も何処かへ飛んでいるそれは、まさしく解離と呼ぶに相応しい現象であった。
そうして月日が経つにつれて、ジェイドの心はゆっくりと、しかし確実に呼吸を失っていった。今では、自分という意識もはっきりとしていない。それなのに、現実の体や口はしっかりと動いていた。意志とは関係なく、体だけが動き続ける。
これではまるでゾンビのようではないか、と自分を嘲った。
それでも、と思う。
それでも、子どもが還らない世界で意識を保ち続けるより、随分とましな気がした。僅かな希望に縋り期待をして、裏切られた現実に絶望する。そんなことを繰り返し、心をすり減らして立ち続けることが出来るほど、ジェイドは若くなかった。
もしかしたら、これが死ぬということなのかもしれない。
肉体的ではなく、精神的な部分が失われて行くこと。それならば、こうやって死ぬことも悪くないな、と思った。
うすぼんやりの意識の中、開けているのも辛かった目を閉じる。
そうして眠るようにして、ジェイドの心は深く深く沈んでいくのであった。
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